25th
11時10分からは、小沢健二のSkypeセッション「アートという罠:アートではなく」。
この講演は、「会場のみなさんとの関係を大切にし、集中したいという、小沢さんからのご意向をうけ、企画側の判断としてネット中継をおこなわない」ことになっており、司会者の方も、録音・録画のみならず、TwitterやUstなどによる中継も控えてくださいと、再三お願いしていました。
できるだけコンテクストを限定し、狭い範囲での濃密なコミュニケーション体験を重視して真意が誤解、曲解されることを恐れて立ちすくむより、様々なメディアを、多様に横断、駆使して、誤配に誤配を重ねながら、思いもかけなかった、何かとんでもない出来事、怪物との遭遇に可能性に賭けてみる方が、より実り多く効果的ではないか、などと私は思うのですが、小沢さんはメディアを極めて禁欲的、慎重に選んでいる印象を抱きました。
私の席の前後には、アップルのiPhoneを持っている男性がいて、時折怪しい動きをしていたのですが、彼らは約束を守ったでしょうか。さすがにスカイプ中は控えていたようですが。
エクアドルにいる小沢さんとスカイプでなかなか接続できなかったようで、それまで上田假奈代さんが、小沢さんを釜ヶ崎に案内した思い出などを語ってくださりました。
そして、ようやく小沢さんとのスカイプ接続に成功。いよいよ待ちに待った講演が始まりました。
以下の記述は、記憶によるもので、あいまいな点が多々ありますし、小沢さんの言葉ではなく、私が自分なりに解釈、要約して書いている部分もあるので、誤解や間違っている部分があるかもしれないことを念頭にお読みください。
小沢さんは、これから自分の語ることは誰か特定の人を攻撃するものではないので誤解しないでほしいと何度も断った上で、「アートという罠:アートではなく」という講演を開始されました。
小沢さんが取り上げたのは、「なぜイギリスの行政は貧しい地区でのアート振興にお金を出すのか、彼らは何を狙ってアートを援助したのか。」という問題です。
行政的にはその答えは明瞭で、
第一に、ローカル経済を活性化させるためであり、
第二に、職を作るためであり、
第三に、セルフ・エスティームを高くするためであり、
第四に、(精神的に)人を健康にするためであり、
第五に、個人に競争力をつけさせるためであり、
第六に、再犯を防止するため
なのですが、小沢さんはこういったアート政策が、実は新自由主義、ネオリベラリズムの息のかかったプログラムそのものであると指摘されました。
ネオリベラリズムとは、簡単にいうと、人びとを激烈な競争に巻き込んで、優勝劣敗、弱肉強食のジャングルの法則を貫徹し、社会を一部の大金持ちと、残りの貧乏人に分断し、様々な格差が拡大することをもって良しとするような主義・主張です。
勝ち組の新自由主義者たちは、アートを媒介にして、貧しい人たちが暴動を起こさないよう社会の中に取り込もうとします。こっち側に入れてあげるよ、といった彼らの傲慢さは、ソーシャル・インクルージョンとでも言えば、何かカッコよく今風に響くから不思議です。
なぜ、ソーシャル・インクルージョンをネオ・リベラリストたちには必要とするのでしょうか。端的に言えばそれは、暴動を抑え、革命を阻止するためです。そんなこと「野蛮」なことを、夢にも思わない人間を作り出すためです。
今回の小沢さんの講演は、2007年に社会臨床雑誌という学術誌に発表された「企業的な社会、セラピー的な社会」を補うものであるため、この論文を読んでいないと、なぜそんなことが言えるのか、よく理解できないかもしれません。そこで、簡単にではありますが、この論文で主張されていることを少しだけ紹介したいと思います。
なぜ、セルフ・エスティームを高くすることが革命を阻止するのでしょうか。
セルフ・エスティームは、実現したことを、期待、見込みで割ることで算出されます。もっと簡単にいうと、現実を分子、希望を分母にした値がセルフ・エスティームです。
セルフ・エスティームを上げるためには、分子の現実を大きくするか、分母の希望を小さくするしかありません。ネオ・リベラリストが、セルフ・エスティームを高めるとことが必要だという言うとき、それは人々が希望をなるべく持たないようにすること、諦めた気持ちで暮らすことを求めているのです。
「企業的な社会、セラピー的な社会」で小沢さんは、セラピストの前で自らを語ることは、実は「灰色」=システムが用意した一定のヒエラルキーの下に、「あるべき自分」を位置づけて、希望を失っていくプロセスなのだと批判していました。
小沢さんは今回の講演で、同じことがイギリスのコミュニティアートにも起きているといいます。
セラピストが皆、気持ち悪いくらい落ち着いた低い声で、その患者たちをシステム内に柔らかく取り込むように、コミュニティアートも、誰にでも受け入れられるような、丸っこく優しくゆるーいアートを媒介にして、貧しい人達が「暴発」しないよう、その力、希望をソフトに去勢して、システム内に取り込んでいる、と批判しているのです。
イギリスではソーシャル・インクルージョンを目的にすると企画書に書けば、補助金が比較的容易に降りるということもあって、この言葉が大氾濫しているそうです。
そして、実際に許可して一年で700億円もの金を分配している男は、アートのことなど何も分からない小役人で、アートを通じて、貧乏人の心に野心を高めさせ、燃えたぎらせ、優秀さへの野望を常に胸に抱いて他人を出し抜こうとする嗜好など、ネオ・リベラリストたちが好む欲望を植えつけることをアート政策の目標にしているのです。
小沢さんは、こうしたイギリスの取り組みが「コピペ」されて実施されたのが、大阪ではないか。世界と地域はつながっているのだと主張されます。
The Economistとかいったネオリベの雑誌を好んで読み、「アーツとビジネスの融合した創造性豊かな都市をめざす「創造都市戦略」を掲げた」(ウィキペディアから)關淳一第17代大阪市長を名指しで批判している最中で、なぜかスカイプの音声が乱れ、もう時間ですからと急かされて、最後は駆け足気味の話になって終了。
小沢さんは1時間の講演を予定していたようで、話を止められた後、両手を頭に組んで仰け反っていた姿から、もう少し語りたいことがあったように見えましたが、私の気のせいでしょうか。
それにしても、これほど過激な、これほど尖りまくった講演は聞いたことがありません。
下手すると、企画の趣旨を全てぶち壊すような、シンポジウム関係者を激怒させ、二度とお呼びにかからないようなリスクをあえて冒して、小沢健二さんは自らが信じることを堂々と語ったのです。資料を持つ手は微かに震えていたとしても。
「アートの力を信じる」というシンポジウムで、「アートという罠:アートではなく」という、まるでちゃぶ台をひっくり返すような講演をやる蛮勇さ。なんという毅然さ、なんという美しさだろう。私はただただ感動していました。
小沢さんは、どこにも帰属せず利害関係を超越した場所から、誰も反論しようがないお行儀のよい正論をぶつだけのイデアリストではありませんでした。
アートしている人たちの苦労を理解した上で、行政からのお金であっても貰えるものならば、貰っていたほうが良いとはっきり言われました。
しかし、彼らの意思、権力作用を十分理解しながらも、それを逆手にとって、何か思いも掛けないあらぬ方向に投げ返してやること、突拍子もない事件を呼び起こすこと、例えば、親のカネを使って自由に遊ぶ頭のいい不良少年、内から食い破るエイリアンのように振る舞うこと、
これは私の解釈ですが、そんな但書きを小沢さんは付けたかったのではないかと推測しました。
こんな時に、この会社で働いている人には大変失礼だが、ある事例を使わせていただくと、話は大変わかりやすくなる。
「そうだなぁ、5年前にしよう?……2005年・大学生の就職人気企業ランキング1位だった会社ってどこだかわかりますか?」とお尋ねしてみる。
親御さんも学生さんも、即答できない。 そこで少し間をおいて、「その企業とは日本航空(JAL)だったんです」と言うと、ハッと気づいていただける。
今、自分の知っている範囲で物事を決めることの危うさを。 世の中は変化する、という当たり前のことを。
就活生の皆様、厳しい戦況下での就職活動、本当にご苦労様です。会社説明会等でESを提出する時期かと思います。
昨年、一昨年の2年間、この季節に、とあるコンサルティングファームにて、ES選考役を務めておりました。周囲の人間は、ビンボーくじ、などと逃げまわっておりましたが、私自身はESの選考は結構好きでした。就活生のみなさんが全力をつくして書いてくださったESであり、こちらも、きちんと向きあわなくては失礼ですし。結果的に、提出していただいたESを、ほとんど一人で判定しておりました。
2時間とか3時間のうちに100を超えるESを読み込んで順位をつけてゆくわけですが、「惜しいなぁ、この人自分が落とされたって、納得ゆかないだろうなぁ」と思いながら、泣く泣く不合格にしたESが多数。どういう基準でESを判定したのかについて、ここに記しておきたいと思います。
私自身は現在そのコンサルティングファームを離れており、今年については、採用の過程、基準など、存じません。また、同業他社や他業界での選考について、個別のやり方や基準などは存じません。ただし、これから書く内容は、一般性はあると思います。仮に「ES選考の基準設定とES評価者のトレーニング」というようなコンサルティングプロジェクトを受注したら、ここで説明しているような内容になるでしょう。
ESを選考する人たち(人事の採用担当者など)は、専門的な知見に基づく選考基準を持っていないことが多いし、いろいろ教わっても自分なりに考えても、結局はあいまいな印象だけで決められてしまう、という場合も多々あると思います。仮にそういう状況で不合格になったとしたらお気の毒としか言いようがありませんが、その程度の会社なら、最初からご縁がなくて正解、ということかもしれません。まずは、玄人の視点でど真ん中を突破できるだけの内容を実現すべく、ポイントをお伝えしたく思います。
最初に、ES選考の経験から、以下、2つの点を指摘しておきます。
まず、ESでの不合格は、あなたについて何かを判定した結果として落ちるよりも、あなた自身について判定する情報がなく、判定出来ないから落ちることのほうが多い、という点。当社ではESは一次面接に進んでいただく候補者を決めるために使用していました。ES通過数は一時面接で対応可能な人数までの絞り込み、ということになりますので一概に言えませんが、1回の会社説明会で提出されたESの、大体半分を通しておりました。
応募者は会社に対して「私が入社したら、新卒社会人として、こういうふうな思考特性に基づいて、こういうふうに行動しますよ」と、合理的に予測させる材料を与える義務があります。逸材をみすみす逃すわけにもゆかないので、ある程度の努力はしますが、具体的にはA4、1~2ページのESで、一人につき最大5分の努力が活動限界です。この時間以内に読み込んで判断出来る材料が掴めなかったら、一次面接には進んでいただけない、ということになります。
2番目に、ESの合否は最初の1/3を読んだ段階で大体決まり、最後まで丁寧に読んでも、1/3の段階での感覚はあんまり変わることが無い、という点。ES選考に携わった同僚の共通意見でもあります。ESの中での話の転がし方にはいくつかのパターンがあって、ダメパターンが途中で化けることはないし、勝ちパターンが大きく外れることも無いです。ES通過のための衛星軌道に乗るためには、打上の初期段階から、軌道と速度が所定の範囲内に収まっている必要がある、ということです。
では、上記2点をクリアするために、具体的に、どうしればよいのでしょうか。ES選考者として、具体的な判断ポイントは、以下のようなものです。
「何ついて」「その事象の課題・問題をどのように認識し」「どのように考え、咀嚼し」「どのように行動し」「行動の結果をどのように評価したか」
ESのテーマによっては上記の判断ポイントは多少変わるでしょう。例えば、時事問題がテーマなら「何について」はわざわざ要らないし、「行動」ではなくて「提言」や「代案」になる、など。
選考者は上記の流れを文章から見つけ出し、これらステップの間のつながりや、その質を判断してゆきます。それぞれのステップにポイントつけて合計、みたいな方法ではありません。これらのステップは、実はそれほど簡単に分解出来ずに、相互に絡み合っていることが多く、分けてポイントつけるなんて無理です。以下、これらのステップを、全体としてどう評価したか、を説明します。これら一つ一つが齟齬なく組み合わさっているかどうかが、まず最初の判断ポイントとなります。普通に「何ついて」~「行動の結果をどのように評価したか」が読み取れれば、A/B/Cの3段階評価のBが確保されます。逆にこの流れが読み取れなかったり矛盾している???なESはC評価、つまり「分からない」(or「なんだこりゃ?」)という判定になります。
文章の1/3を費やした時点で、上のステップの流れの一部は既に提示されているはず。その時点で流れが分からなければCになる可能性が高いし、また、それまで読んできた流れが、どれくらい明快なのかも分かります。これが、初期段階における軌道と速度、です。
じゃAになるのは、というと、その流れのステップの間に「なんかスゴいぞ」という飛躍がある場合。例としてあえてあげるなら「そこで私は、10万人分の調査票をすべてもう一度一つ一つ精査してみました。すると…」みたいな「そこまでやるか」タイプ、「これ以上もうどうしようもないかと思いながら帰り道に電柱を見て、ふと思いつきました。この電線は近隣の家庭にすべて通じているのだから…」みたいな「ひょっとして天才?」タイプ、「当初サークルの運営について、OBの方たちが何を不安に感じているのかわかりませんでした。そこで、OBの中でも最も先輩である、とある上場企業の取締役にお話を…」みたいな「なんだか異常に社会性が高そう」タイプ、など、など。基本的には、Aはほとんど出ません。別にAな人を探してるわけではないし、Aだからといってその後の選考で有利になるということもありません。インタラクティブに不明箇所を探索することができる面接と違って、固定した文章から読み取った判定は、それ以後のプロセスに持ち越せるほど信頼性高くないので。必要なことが書いてあって、かつ、内容面白いんじゃね?というくらいの意味です。
B評価は、さらに、B-/B/B+の3つに分かれます。ESの展開として綴られている一連の流れが、より強力だったり、レベルの高い行動と思われればB+、逆に「当たり前のことやってるだけで面白くなもなんともないけど、流れに齟齬破綻はないよな」くらいなら、B-。最後に、A/B+/B/B-/Cと並べ直して、B+/B/B-の中でもう一度読み込んで順番をつけて、全体の約半分が合格として次の段階に進んでいただく、という運用でした。会社説明会の時期とかタイミングとかにもよりますが、Bまでが通過、あるいは、Bの真ん中で分けた、ということも。
そうすると「一連の流れがより強力だった」とか「レベルの高い行動」というのが結構重要な判定ポイントになります。これは、何を意味しているのでしょうか?
最初の部分で、「私が入社したら、新卒社会人として、こういうふうな思考特性に基づいて、こういうふうに行動しますよ」と、合理的に予測させる材料を与える義務がある、と申し上げたのだけれど、ここに立ち返ってください。選考者として見たいモノは、ESのテーマとして与えられた状況下で、その人がどう考え、どう反応し、どう行動するか、という、具体的な「エピソード」です。そのエピソードが、入社後の行動を推定する論拠となります。だから漠然と一般論を書いただけでは、信じることが出来ない。何月何日何時何分に、どこで何を考えどう行動したか、というリアルな、映画のようにイメージできるシーンが見たいんです。別にドラマチックである必要はありませんが。
…下級生が発言しにくい雰囲気だったので、広報の仕事をやってもらうこととしました。公演までの2ヶ月間、練習を重ねるにつれ、内容は日々進化してゆきます。広報内容が変更されることに、下級生は次第に不満をつのらせてゆきました。公演2週間前の夜、練習が終わった時に、一人の下級生が私に「もうついてゆけない、広報なんていちいち必要ないんじゃないか」と言い始めました。この公演は、長く近隣の中学高校での目標となっており、また協賛企業もいらっしゃいます。私は「あなたたちが大変な思いをしているのはわかるけれど、公演を楽しみにしている人達もいる。まず、○○高校に行って、顧問の先生と話てみてはどうか」と提案しました。…
こう書いてくれれば、あなたは1)公演2週間前の夜に不満を持った下級生と対峙し、2)問題は下級生がフラストレーションで視野狭窄に陥ったことで、3)それを乗り越えるために、期待してくれているお客さんに触れ合わせれば良いと発想し、4)それを下級生に毅然とした態度で伝えた、ということまでは、「目撃」できます。上の例だと、BとB+の間でメーターが揺れてる感じかな。Bより少し上にいっているのは、4)の毅然とした態度や即反応がどことなく伺えるし、下級生にいろんな人と関わらなくてはいけない広報という役割を与えた、という工夫が認められたから。たとえばその後で「下級生をグループに分けて、中学、高校、協賛企業を割り当て、また上級生をひとりずつを責任者として、下級生をバックアップするする体制としました」というような話がくると、「どのように考え、咀嚼し」→「どのように行動し」がつながっとるなぁ、ということになり、B+に落ち着くはず。流れが理解出来、また、説得性があるので強力な流れと認識します。
ちなみに、「一連の流れ」というのは、「何ついて」~「行動の結果をどのように評価したか」をこの順番で書かなきゃいけないのか?と疑問に思われるかもしれません。これは、必ずしもバカ正直にこれをなぞってゆく必要は無くて、省略されたり順番を変えて提示することも、もちろんアリです。読む人に配慮して、わかりやすい文章を書く、という基本姿勢があれば、「一連の流れ」をどういうふうに提示するべきか、テーマによって自ずと決まってくるはずですよね?
もう一つ、「レベルの高い行動」について。ここはやや意見が分かれるかもしれませんが、私は、他者の巻き込み行動があったかどうか、という点を重視します。一人で考えて一人で行動して、という枠の中での評価はもちろんしてあげられるのだけれど、それは会社で言えば、上の人間から言われたことを上手くこなす、というレベル、そこから一歩抜けて自分が物事を動かしてゆくには、やっぱり他者との関わりが必要です。上の例なら、下級生を広報役にすることで上級生に巻き込んでいるわけで、これは「ややレベルの高い行動」と言えるだろう、と。
ただ、この他者巻き込みというのは、ESだけでは判定が難しいのも確か。「これホントにあなたが主導でやったの?」と言いたくなる内容もあります。いくらでも、作文できるしね。でも、それは面接で網張って待ってるわけで、ESでは通過させてしまったとしても、大間違いってわけでもありません。なんだか、だんだん言い訳っぽくなってきたなw。
逆に、これやっちゃうと評価のしようがない、という例をいくつか挙げておきます。
まず、立派な業績のように思えるのだけれど、こちらに判断する能力が無いというケース。困ったのが、「成果が認められて、学会で発表出来ました」というやつ。スゴいことかもしれないし、それほどでもないかもしれない。その学会についても存じないし、その分野の専門知識もないので、どうにも、なんとも。しかも、そういうESは得てして、判断材料となる「課題認識」→「行動」→「評価」のステップやエピソードが書いてないです。あるいは、書いてあってもものすごーく浅くしか書いてない。専門的な内容はA4一ページでは説明しきれない、ということなのだろうけれど、だとしたら、そもそもESのネタ選びが間違っとるよ、ワカンナイもん。こっちだって一生懸命読んでんだぞゴラァ。
ほぼオートマチックにC評価をつけざるをえないのが、感想文とか決意表明。「私はこのインターンシップでの経験を通して、人と人との結びつきの大切さを学びました。これからも、人と人との結びつきを大切に、御社で仕事をさせていただきたいと思います」とか「ボランティア活動で訪れたアフリカの子供たちの瞳はとても澄んでいました。私も、この澄んだ瞳をいつまでも忘れずにクライアントと向きあってゆきたいと思います」みたいな。こういうのも、これしか書いてないESが多い。「人と人の結びつきか…俺にもそんな時代がありました」とか「確かに私の瞳は汚れていますが何か」など、ひねくれた理由で落としてるわけじゃないんです。書かれているのは個人の価値観とか感受性であり、立派ではあるのだけれど、ESの目的は価値観や感受性を判定することではないので。
プレゼンテーションのように、四角、丸、三角、フキダシ、その他いろいろ散りばめたESを出してくれる人もいるのだけれど、これもまずダメ。見た瞬間に、あちゃーこらアカンな、と一発で分かり、でも頑張って気持ちを引き締めて読み直して、というか、分析解読して、やっぱ分からん、となります。流れがわからないし、エピソードも入ってないし、入れようもない。コンサルティングファームだから、四角、丸、三角、フキダシでコミュニケーションするって勘違いしてんのかなぁ。ああいうポンチ絵は、説明の骨子をあらわすものであって、ブリーチされた思考、骨子、もしくは、絞りカスみたいなもんだって、どーしてワカンナイのかなぁ。ちなみに、ウチらもう四角、丸、三角、フキダシ散りばめたポンチ絵スライドなんて、よう作らんよ。不正確極まりなくて、使い物にならんもん。
ひとつにESテーマに、2つの内容を入れてきてくれる人もいるけれど、あれも不利かと。1個あたりの話題は他の人の半分しか述べられないわけで。「私が学生時代に最も力を入れて取り組んだことは、アルバイトと学業です。アルバイトでは… 学業では…」みたいなやつ。流れが薄味になってしまうんですね。
最初に「目的:ビジネスプランコンテスト上位入賞達成」みたいなのを、一段落とって入れてくるESがあって、まぁこれは必ずしもダメとは言わないけれど、「目的」って大きなところから入ると、判断の手がかりになる「エピソード」が抜けてしまうケースがある。あと、書いてある内容のレベル感と「目的」のギャップも検証されるようになります。目的と内容、あってるかな?と。つまり、要らん厳しい目を呼び込む可能性があるってことです。これは、ダメパターンと言うよりは、構成する上での注意点として指摘しておきます。「目的」を必ず入れて合目的的な行動を訴えろって、誰かに教わったのかな?
業績を過度に強調するのも、ちょっとばかり警戒し、注意して読み込むようになります。バイトの店の売上が上がった、というような内容は、本当にその売上と、行動の相関関係があるのか、ということを、必ず疑います。社会常識として、まぁそこまでやりゃーなんか成果出るだろ、と思えればB+つけたりもしますが。
逆に、成果でなかった、上手くいかなかった、というエピソードの方がある意味信頼できるのだけれど、この場合はこれまであんまり触れなかった「行動の結果をどのように評価したか」が大切になります。うんうん、たしかにこういうふうにやり直したら、今度は上手くゆくよね、と納得できればOKです。
なかには、トップセールスみたいなことを書いてくる人もいる。あんまり成果に激しくドライブかかってると、おいおい、ちょっと志望業界違うだろ、ということで、ESにて敗退していただくなんてことも。もちろん「課題認識」→「行動」→「評価」というサイクルがちゃんとしていれば、その上で成果を語るのはいいのだけれど、これらのステップと、成果があんまりにもアンバランスだとね。作ってるの分かるから。オトナなめんなよ。
正直に白状すると、最後の結びの言葉は読んでいません。典型的なのは「このような経験は御社にとって必ず役に立つと確信しております」ということなんだけど、この文章バリューレスなんで。目は文章を最後までスキャンするけれど、脳はそれまでの内容の集計モードに入っています。結びで熱意をもって訴えるのは結構なことですが、ゆめゆめ結びの言葉で勝負しようとはしないように。
あと、付け足しておくと、手書きESの字の上手い下手、誤字脱字などは、私は全く気にしません。さすがに知的能力を疑わざるをえないような誤字は引くけれど、手書きでクライアントに資料出すなんてことは無いわけで。字の上手い下手、誤字脱字は、過度に恐れる必要はないでしょう。あ、でも一応選考担当者への配慮はしねて、読めないESは、マジ困るんで。
さて、いろいろと述べてまいりましたが、これらは全て「コンピテンシー」と呼ばれる、心理測定の分野の考え方に基づいています。もし興味があったら、人事の、コンピテンシーと呼ばれる領域について調べてみると、カラクリが分かるかもしれません。
今年社会に羽ばたくみなさんは、本当に大変と思います。今、社会の仕組みが大きく変わる時期にあって、無自覚に旧来の仕組みにしがみついているおじさんおばさんたちと、そのワリくってワケもわからず苦労している若い人たち、という構図が見えます。そんな不条理に厳しい状況の中、みなさんが少しでも良い機会を掴んでいただければ、という思いで、これを記しました。私のささやかな経験を、ここに降ろすことができたので、少しほっとしています。何かの役に立ったらいいなぁ…
就職戦線におけるみなさんの武運長久をお祈りします。そして、みなさん全員の、明るい未来を!
Twitter: ronrinin